「損害賠償を請求する」と聞くと、いかにも重そうな話に見えます。
しかし、そこで一つの疑問が出てきます。
「でも相手が学生で金を持っていなかったら、裁判で勝っても取れなくない?」
あるいは、もっと露骨に言えば、
「無職で預金も財産もなければ、民事では無敵なのでは?」
これは意外と重要な疑問です。
結論から言えば、半分はその通りで、半分は間違っています。
今、差し押さえる財産がなければ、その時点で回収できないことはあります。
しかし、
「今、金がない」と「賠償責任から逃げ切れる」は同じではありません。
裁判で支払いを命じる判決などが確定すれば、それを土台に、後から得た給与や預金などに対して強制執行が行われる可能性があります。
今回は、Rocket Now(ロケットナウ)の配達中の商品をめぐる「つまみ食い疑惑」の動画がSNSで拡散した件をきっかけに、刑事事件とは別の「民事で金を取る」という問題を考えてみます。
「学生で金がないなら民事裁判しても意味がない」は半分正しい
まず、裁判所はATMではありません。
仮にAさんがBさんに対して10万円の損害賠償請求を行い、裁判で「BさんはAさんに10万円を支払え」という判決が出たとします。
それでもBさんの財布から自動的に10万円が出てくるわけではありません。
相手が任意に払わなければ、最終的には財産を探して強制執行する必要があります。
ところが相手が、
- 無職
- 預金ほぼゼロ
- 不動産なし
- 価値のある財産なし
という状態なら、その時点では差し押さえて回収できるものがほとんどないという事態は普通にあり得ます。
ここだけを見れば、
「やっぱり金がない奴は強いじゃないか」
となります。
しかし、話はそこで終わりません。
それでも判決を取る意味は何なのか?
大きいのが「債務名義」です。
確定判決、仮執行宣言付き判決、一定の和解調書や調停調書など、法律上強制執行の根拠にできる文書があります。
つまり、裁判で勝つ意味は、単に「こちらが正しかった」と認定してもらうことだけではありません。
相手が払わなかったときに、強制執行へ進むための土台を作る。
ここが重要です。
今は学生で収入がなくても、5年後には会社員かもしれません。
今は預金残高1万円でも、数年後には100万円あるかもしれません。
現在の無資産と、将来も永遠に無資産であることは全く別なのです。
学生が就職したら給料を差し押さえられるのか?
可能性はあります。
裁判所は、判決や和解調書などに基づき、債務者の給与や銀行預金などを差し押さえる「債権執行」の手続を案内しています。
例えば、大学生だった人が卒業して会社に就職したとします。
その人に対する損害賠償債権が残っており、必要な条件を満たして給与差押えを申し立てれば、その給与が強制執行の対象になる可能性があります。
ただし、給料を全部持っていけるわけではありません。
一般の金銭債権の場合、給与差押えは原則として手取り額の4分の1が基本です。
手取り月額が44万円を超える場合は、33万円を除いた部分が差押え可能範囲となります。
生活できないところまで全部取り上げる制度にはなっていません。
逆に言えば、
「今は学生だから給与ゼロ」でも、「就職した後まで絶対に関係ない」とは言えない。
これが現実です。
銀行預金も差押えの対象になる
給与だけではありません。
銀行に対する預金債権も強制執行の対象になり得ます。
例えば、以前は残高がほとんどなかった人でも、その後働き始め、口座に資金を持つようになれば状況は変わります。
もちろん、債権者が判決を持っているだけで銀行が勝手に金を渡してくれるわけではありません。
対象となる財産を特定し、裁判所を通じて必要な手続きを取る必要があります。
ここでも、
「払える財産が今ない」ことと、「債務そのものが消えた」ことは別問題です。
そもそも相手の財産が分からなかったらどうする?
実務で面倒なのはここです。
「差押えできます」と言われても、勤務先も銀行口座も分からなければ簡単ではありません。
そこで民事執行法には財産開示手続があります。
一定の条件を満たす債権者は、債務者を裁判所の期日に呼び出し、財産状況を陳述させる手続を利用できます。
ただし、勘違いしてはいけません。
財産開示をしただけで、その財産が自動的に差し押さえられるわけではありません。
財産が判明した後、回収するには別途強制執行を申し立てる必要があります。
また現在は、一定の条件の下で第三者から財産情報を取得する制度もあります。
銀行等から預貯金に関する情報の提供を受ける手続などです。
一方で、勤務先情報については、どの損害賠償債権でも自由に調査できるわけではありません。
裁判所の案内では、勤務先情報を取得できる請求権には、養育費などの扶養関係の債権や、人の生命・身体を侵害したことによる損害賠償請求権など一定の限定があります。
したがって、
「判決さえ取れば裁判所が勤務先から銀行まで全部調べてくれる」
という理解も正しくありません。
「学生なら逃げ切れる」はなぜ危ないのか
学生という肩書そのものに、損害賠償を免除する効力はありません。
大学生だから。
専門学校生だから。
アルバイトだから。
無職だから。
それだけで賠償義務が消える制度ではありません。
重要なのは、賠償責任が認められるのか、いくらの損害が認定されるのか、そして回収できる財産があるのかです。
現在21歳で貯金ゼロの大学生でも、3年後には会社員になっているかもしれません。
「今は取られるものがないから大丈夫」という考え方は、時間軸を無視しています。
未成年なら親が全部払う? これも単純ではない
ここは学生という言葉で一括りにしてはいけません。
大学生の多くは成人ですし、高校生などには未成年者もいます。
民法712条は、未成年者が「自己の行為の責任を弁識するに足りる知能」を備えていなかった場合について、本人が賠償責任を負わない旨を定めています。
つまり、単純に「18歳未満だから本人に責任なし」という制度ではありません。
責任能力の有無が問題になります。
また、未成年者が問題を起こしたからといって、親が機械的・無条件に全額を支払うというルールでもありません。
責任能力や監督義務など、別の法律問題として判断されます。
この記事でいう「学生」は、原則として、本人に民事上の責任が認められた場合を前提にしています。
では企業は数千円の商品でも裁判を起こすのか?
ここからが法律論と現実論の分かれ目です。
例えば配達中の商品数千円分が失われたとします。
仮に損害賠償請求が法律上可能だったとしても、数千円を回収するために、調査し、書類を作り、裁判を行い、さらに財産を探して強制執行する。
これは経済合理性の問題になります。
本人で訴訟を行えば裁判所に支払う手数料等だけで何十万円もかかる、という話ではありません。
しかし、企業の場合は担当者の人件費、調査、証拠保全、法務対応、弁護士を使う場合の費用、強制執行の手間まで含めれば、少額損害に対して本気で回収へ行くことが採算に合わないケースは当然考えられます。
そのため実際の企業対応としては、
- 顧客への返金・補償
- 配達員アカウントの利用停止・契約解除
- 事実調査
- 損害額の算定
- 必要に応じた損害賠償請求や求償
など、複数の手段から判断することになります。
ここで重要なのは、
「裁判を起こさない可能性がある」=「責任がない」ではない
ということです。
単に請求する側が「この金額にこれ以上コストを使う価値があるか」を計算しているだけの場合もあります。
判決を取られたら永久に追われるのか?
永久ではありません。
民法169条では、確定判決や確定判決と同一の効力を持つものによって確定した権利について、10年より短い時効期間が定められていたものでも、その期間を10年としています。
したがって、
「判決を取ったら一生有効」
という理解は間違いです。
ただし逆に、
「10年隠れていれば自動的に絶対チャラ」
と考えるのも危険です。
民法には、裁判上の請求や強制執行などによる時効の完成猶予・更新、債務者が権利を承認した場合の時効更新などの制度があります。
具体的な時効の起算点や更新の有無は個別事情によって判断する必要があります。
少なくとも「判決から10年経過した」という一つの数字だけを見て、機械的に債務が消えたと判断する話ではありません。
では自己破産すれば全部消えるのか?
これも単純ではありません。
自己破産・免責という別の制度はありますが、破産法には免責の対象にならない請求権も定められています。
例えば「悪意で加えた不法行為に基づく損害賠償請求権」や、故意・重大な過失によって人の生命・身体を害した不法行為に基づく一定の損害賠償請求権などです。
したがって、
「金がなくなったら最後は自己破産すれば全部ゼロ」
という理解も危険です。
Rocket Nowの「つまみ食い疑惑」で考えるとどうなる?
2026年8月、Rocket Nowの配達員とされる人物が、配送中の商品を無断で飲食しているように見える動画がSNS上で拡散しました。
Rocket Now側は8月17日時点で動画を認識していることを明らかにし、事実関係を確認中と説明しています。また、配送中の商品に対する無断飲食・窃取については容認しないとの立場を示しています。
ここで注意したいのは、SNS動画が拡散したというだけで、動画に映る人物について犯罪や民事上の損害賠償責任が確定したわけではないことです。
誰が、いつ、どの商品に、どのような行為をしたのか。
実際に顧客の商品だったのか。
どの程度の損害が発生したのか。
契約上どのような責任が発生するのか。
これらは事実確認が必要です。
この記事で扱っているのは、あくまで、
仮に違法行為や契約違反が認定され、本人に金銭賠償義務が生じた場合、「学生だから金がない」という理由だけで民事責任が消えるのか
という一般論です。
答えは、消えません。
「今払えない」と「払わなくていい」は全く違う
整理すると非常に単純です。
相手が本当に無資産なら、裁判で勝っても、その瞬間には回収できないことがあります。
これは事実です。
だから民事裁判では、「勝てるか」だけではなく「取れるか」も重要になります。
しかし、判決などによって支払い義務が確定すれば、今後財産を取得したときに強制執行を受ける可能性があります。
学生だった人が就職する。
無職だった人が働き始める。
預金が増える。
その瞬間、以前とは回収可能性が変わります。
一方、請求する側も無限に金と時間を投入するわけではありません。
被害額が数千円なら、法的に請求できたとしても、そこから先へ進むかは完全に別の経営判断です。
つまり、この問題は二つに分けなければなりません。
法律上、払う義務があるのか。
現実に、そこまでして取りに行く価値があるのか。
この二つをごちゃ混ぜにすると、
「無職なら無敵」
「学生ならどうせ払えない」
という雑な結論になります。
しかし実際には、そう簡単ではありません。
今、金がない。
だから今は取れない。
そこまではあり得る。
しかし、
だから賠償責任から逃げ切った。
そこまで話を飛ばすことはできないのです。
※本記事は2026年8月20日時点の法令・裁判所公開情報を基にした一般的な解説です。個別事件について法的責任の有無を断定するものではありません。実際の強制執行、消滅時効、未成年者の責任能力、破産・免責等については事案ごとに判断が異なります。
主な参照資料:e-Gov法令検索「民法」第152条・第169条・第712条・第714条、e-Gov法令検索「破産法」第253条、裁判所「債権執行(債務名義に基づく差押え)」「財産開示手続」「第三者からの情報取得手続」



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