「更生上等!!」
「立ち直りって、ラヴだ」
いや、ちょっと待ってほしい。
これを掲げているのはNetflixだけではない。法務省である。
Netflixのリアリティシリーズ『ラヴ上等』シーズン2と法務省保護局がタイアップし、2026年8月上旬から全国の保護観察所など関係機関に約2,000枚のポスターが配布された。法務省は8月5日にタイアップを正式発表している。
番組に登場するのは、過酷な生い立ちや過去の罪などを抱えた参加者たち。法務省は、彼らが他者や地域との関わりの中で自分と向き合い成長していく姿が、更生保護の掲げる「人は変われる。一緒なら。」という考え方に通じるとしている。
しかし、このポスターを見て一つ大きな疑問が残る。
更生とは、そんな簡単に認定できるものなのだろうか。
これは「昔悪かった人間は表に出るな」という話ではない
最初にはっきりさせておきたい。
過去に犯罪をした人間、非行に走った人間、暴力的な世界にいた人間が、その後テレビに出たり、商売をしたり、スポーツや芸能の世界で成功したりすること自体を否定するつもりはない。
日本には昔から、荒れた過去を持ちながら、その後まったく別の世界で存在感を示した人物はいくらでもいる。
刑期を終えた人間が社会に戻り、働き、家庭を持ち、商売をする。それは当然認められるべきだ。
問題はそこではない。
「現在仕事をしている」「今は犯罪をしていない」ということと、「この人は更生した」と国がお墨付きを与えることは同じではない。
鳶をやっている。建設業をやっている。だから「更生」なのか?
例えば、過去に犯罪を繰り返していた人が現在は鳶職として働いているとする。
それは立派な就労である。
建設会社を経営しているなら、それも合法的な経済活動だ。
しかし、それだけで人間の内面まで含めて「更生した」と第三者が判断できるだろうか。
仕事をしていることは社会生活が成立している一つの材料ではある。
だが、更生とはもっと重い。
過去に何をしたのか。被害を受けた人間をどう考えているのか。暴力によって物事を解決する価値観から本当に離れたのか。元の環境に戻らず生活を維持できているのか。
そうしたものは、テレビ番組を数話見ただけで認定できるような話ではない。
まして、過去の犯罪、喧嘩、ヤンキー性そのものが番組のエンターテインメント性を構成している。
Netflixがそういう作品を作ることとは別に、そこへ法務省が「更生」という言葉を乗せる必要が本当にあったのか。
更生とは、人間一人の生活に入り込む仕事だ
そもそも法務省自身が、更生が簡単ではないことを知っている。
法務省は再犯防止について、社会に戻った人が「住むところや仕事がない」「薬物依存がある」「孤独・孤立の状態にある」といった問題を抱え、それが再犯・再非行につながる場合があると説明している。
つまり本当の更生政策とは、精神論ではない。
仕事、家、金、家族、人間関係、依存症、孤立。
ここまで触らなければならない。
「もう悪いことをするな」
「真面目に働け」
これだけなら誰でも言える。
では刑務所を出たその日に住所がなかったらどうする。
銀行口座を作れなかったらどうする。
仕事を断られたらどうする。
薬物依存が残っていたらどうする。
家族から縁を切られ、昔の仲間しか電話をかける相手がいなかったらどうする。
ここまで面倒を見るのが、本気で人を立ち直らせようとする政策ではないのか。
「暴力団をなくせば終わり」でもない
暴力団排除そのものを否定する話でもない。
犯罪組織による暴力、恐喝、詐欺、薬物取引などを取り締まるのは当然である。
ただし、組織を一つ潰すことと、犯罪を生み出す構造そのものを消すことは別だ。
この点は現在の警察行政を見ても分かる。
警察庁は現在、従来型の暴力団とは別に「匿名・流動型犯罪グループ」を重大な治安上の対象として位置付けている。2025年版警察白書でも、特殊詐欺、強盗、SNS型投資・ロマンス詐欺、組織的窃盗など様々な犯罪への関与が取り上げられている。
彼らには暴力団のような分かりやすい看板も、固定された組織構造もない場合がある。
SNSで人を集め、離合集散し、犯罪ごとに役割を細分化する。
警察庁自身がこうした新しい犯罪集団への対策を進めているという事実は、「昔ながらの組織をなくせば犯罪集団も消える」というほど世の中が単純ではないことを示している。
追放した人間は、どこへ行くのか
ここで重要になるのが「排除した後」である。
暴力団を辞めろ。
では辞めた人間を誰が雇うのか。
どこに住むのか。
誰が生活を立て直すまで付き合うのか。
実際、警察や法務省は暴力団離脱者について、就職、生活環境、銀行口座開設など社会復帰支援まで行っている。暴力団員を組織から離脱させるだけでは不十分だからこそ、こうした制度が存在するのである。
これは非常に重要だ。
排除だけして、その人間の次の居場所を作らなければ、問題を場所から場所へ移動させるだけになりかねない。
かつて安藤昇氏には、暴力追放について「では、どこへ追放するのか」という趣旨の問題提起をしたとの話が伝えられている。
今回、筆者はその発言の一次資料と正確な原文までは確認できなかったため直接引用はしない。
しかし、問いそのものは現在にも通じる。
社会から追い出すだけなのか。それとも社会の中で生き直せる場所を作るのか。
後者までやらなければ「更生政策」とは呼べないだろう。
必要なのは「地域の親分」のような担当者ではないか
「親分」と言うと乱暴に聞こえるかもしれない。
しかし、本当に必要なのはそんな役割ではないだろうか。
一人の人間について、仕事、住居、行政手続き、依存症治療、人間関係まで継続して見ていく地域担当者だ。
現在も保護観察官、保護司、更生保護施設、協力雇用主、居住支援法人などの制度は存在する。協力雇用主には、対象者の就労を継続させるための相談支援や奨励金制度もある。
だから日本が何もしていないわけではない。
問題は、本当にその網が生活の奥まで届いているのかである。
ポスターを2,000枚貼ることより、一人の人間を5年、10年と元の犯罪環境に戻さない仕組みを作る方が、はるかに難しい。
だが、それこそが更生ではないのか。
覚醒剤は「根性」でやめさせる問題ではない
さらに難しいのが薬物だ。
2024年の覚醒剤事犯について、厚生労働省の2025年の政策評価会議では再犯者率66.4%という速報値が示されている。これは薬物問題の根深さを示す数字の一つである。
薬を取り上げて、逮捕して、「もうやるな」と言えば終了するなら苦労はしない。
法務省自身も薬物依存について「回復」に焦点を当てた処遇を行い、更生保護施設での継続支援を実施している。厚生労働省も治療、回復、社会復帰、家族支援を一体として進める必要性を掲げている。
昔から言う「毒をもって毒を制す」という考え方を現代の政策に置き換えるなら、自己責任論ではなく、医学的根拠に基づく治療と継続的な回復支援を徹底するということになる。
依存を抱えた人間を刑務所と街の間で往復させているだけでは根本解決にはならない。
そして一番聞きたい。このポスター、いくらかかった?
法務省と『ラヴ上等』のタイアップポスターは約2,000枚が全国の関係機関に配布されたと報じられている。
では、これにいくらかかったのか。
デザイン制作費はいくらなのか。印刷費はいくらなのか。配送費はいくらなのか。Netflix側と法務省側の費用負担はどうなっているのか。
2026年8月20日時点で、筆者が確認した法務省の発表や政府調達関連の公開情報からは、このタイアップ単独の具体的な契約額や費用負担を確認できなかった。
したがって現段階で「○○万円の税金が使われた」と断定することはできない。
逆に言えば、ここは明らかにしてほしい。
公的機関が行った広報である以上、もし公費が支出されているのであれば、その金額と効果について国民が検証するのは当然のことだからだ。
再犯者率46.2%を「46%が再犯する」と読むのも違う
なお、更生の難しさを語る際によく使われる数字についても注意したい。
2024年の刑法犯検挙者に占める再犯者率は46.2%だった。
しかしこれは、犯罪をした人の46.2%が再び犯罪をするという意味ではない。
「その年に検挙された人の中で、過去にも検挙された人が占める割合」である。法務省も「再犯率」と「再犯者率」を別の指標として扱っている。
更生の難しさを批判する記事だからこそ、数字まで雑に扱ってはいけない。
「更生上等!!」と言うなら、そこまでやってから言ってほしい
筆者は更生を否定しているのではない。
むしろ逆だ。
人間を本当に更生させたいなら、そんなに簡単な仕事だと思わない方がいいと言っている。
犯罪者を捕まえる。
暴力団を排除する。
刑務所へ入れる。
それだけでは終わらない。
そこから先に、住居を確保し、働かせ、依存症を治療し、孤立させず、昔の犯罪仲間とは別の人間関係を作り、生活が崩れそうになれば再び支える。
地域社会の中まで行政が入り込まなければならない。
それを何年も続ける。
それくらい重い仕事が「更生」だ。
Netflixが『ラヴ上等』をエンターテインメントとして配信するのはNetflixの判断だ。
見たい人が契約し、自分で再生ボタンを押して見る。
しかし政府広報は違う。
ポスターになれば、番組を選んでいない人の目にも触れる。
ニュースにもなる。
そして犯罪被害者やその家族の目にも入る可能性がある。
第二次再犯防止推進計画自体も、再犯防止施策では犯罪被害者等の存在を十分認識することを基本方針としている。
だからこそ、最後に法務省へ聞きたい。
「更生上等!!」「立ち直りって、ラヴだ」――本当にこれが、国が考え抜いた“更生”の伝え方なのか。
ポスターで「人は変われる」と言うことは簡単だ。
難しいのは、その人間が本当に変わり続けられる環境を作ることである。
更生はキャッチコピーではない。
一人の人間の人生に、社会がどこまで責任を持って入り込めるのかという問題なのだ。



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