文春オンラインが2026年9月20日に公開した、慶應義塾大学卒の元暴力団員・斎藤由則氏へのインタビューが話題になっている。
タイトルには「小学生でタバコとケンカ三昧」「ズバ抜けたワル」「暴走族入り」「18歳で少年院」といった強烈な言葉が並ぶ。
確かに、32歳で暴力団を離脱し、その後勉強を始め、44歳で慶應義塾大学に合格。2025年3月に卒業したという経歴は異色だ。
42歳から受験勉強を始めて慶應大学に合格し、卒業までやり切った努力については、それ自体を評価すればいい。
しかし、この記事を読んでいて強烈な違和感が残った。
被害者はどこへ行ったのだろうか。
本人自身がかなり具体的な加害行為を語っている
これは第三者が過去を暴露した記事ではない。
斎藤氏本人がインタビューの中で、自身が行った過去の行為をかなり具体的に語っている。
記事によれば、小学生時代からケンカを繰り返し、中学生になるとタバコのカツアゲや万引きを行ったという。
万引きについても、本人はテレビや高級腕時計などを含め、さまざまな物を盗んだ趣旨の発言をしている。
その後は暴走族に入り、本人によれば、最初は盗んだバイクに乗っていた時期もあった。
さらに暴走族時代になると、カツアゲで要求する金額が1万円、2万円から10万円、20万円へと大きくなり、パチンコ玉を奪ったり、車上荒らしをしたりしたことも語っている。
18歳の時には車上荒らしで家庭裁判所の審判を受け、少年院へ送致されたという。
別の記事では、本人自身が当時について、バールや金属バットで人の頭を殴っていた趣旨の発言までしている。
ここまで来ると、単なる「昔はヤンチャでした」という話ではない。
「ズバ抜けたワル」という言葉にすると犯罪の輪郭が消える
こうした行為を法律の言葉に置き換えれば、見え方はかなり変わる。
- 他人の物を盗む――窃盗
- バイクを盗む――窃盗
- 車内から金品を盗む――窃盗
- 相手を脅して金品を出させる――恐喝
- 人を殴って負傷させる――傷害
- 無免許でバイクを運転する――道路交通法違反
実際の罪名は個々の事実関係によって変わるため、昔のエピソードだけを材料に現在になって一つ一つ断定することはできない。
しかし少なくとも、「ズバ抜けたワル」「ケンカに自信があった」「暴走族だった」といった言葉だけで包めば、何をしていたのかという本質がぼやける。
ワルだったのではない。少なくとも本人が語っている中には、明らかに刑罰法令に触れる性質の行為がいくつも存在している。
金属バットで人の頭を殴る――これは「壮絶な過去」で終わる話なのか
特に考えさせられるのが、本人が「バールや金属バットで人の頭を叩いていた」という趣旨の話をしている部分だ。
人間の頭部を硬い金属製の物で殴れば、重大な傷害や死亡という結果につながっても不思議ではない。
結果によっては傷害よりはるかに重大な事件になる。
そう考えれば、本当に大きかった人生の分岐点は「暴走族から慶應大学へ行った」というギャップだけではない。
取り返しのつかない死亡結果を出さずに済んだことではないだろうか。
人が死亡していたなら、その後の人生はまったく違った可能性がある。
だから「壮絶なアウトロー人生」という言葉で消費するより、「一歩間違えれば他人の人生も自分の人生も完全に壊していた」という現実を伝えるほうが、よほど若者への教育になる。
18歳なら「犯罪ではなかった」ということでもない
ここは少年法について誤解しやすい。
18歳だったから、行為そのものが犯罪ではなくなるわけではない。
裁判所は、罪を犯した14歳以上20歳未満の少年を「犯罪少年」と定義している。
一方、少年事件では成人と同じように刑事裁判を行うとは限らず、家庭裁判所が審判を行い、保護観察や少年院送致などの保護処分を選択する制度がある。
斎藤氏の場合、18歳の車上荒らしについては少年院送致となり、約半年間収容されたと本人が語っている。
つまり正確に言えば、
「少年だったから犯罪にならなかった」のではない。
「少年法の仕組みの中で、成人と同じ刑事処罰ではなく、少年院送致という保護処分を受けた」のである。
しかも犯罪歴は少年時代だけでは終わっていない
さらに連載全体を読むと、話は少年法だけでは終わらない。
文春オンラインの記事では、斎藤氏は23歳の時に恐喝容疑で逮捕され、24歳で懲役4年の実刑判決を受けたと語っている。
出所後には再び暴力団に戻り、その後、別の恐喝事件で懲役3年の判決を受け、札幌刑務所へ入ったことも紹介されている。
したがって、この人物について「少年法によって一度も刑事責任を問われなかった人物」と理解するのも正しくない。
少年期には少年院送致、その後は成人として実刑判決も受けている。
だからこそ、その後に暴力団を離脱し、社会生活へ戻り、大学へ進んだ更生の経緯には意味がある。
ただし、それと過去の犯罪行為を格好よく見せることは完全に別問題だ。
慶應卒はすごい。しかし「元ヤクザ」を足し算する必要はない
筆者が最も理解できないのは、アウトローだった過去まで成功物語の加点材料になってしまう構造だ。
42歳から勉強を始めて慶應大学へ入り、卒業した。
これは普通にすごい。
司法試験に挑戦するのであれば、それもまた本人の努力だ。
それだけでいいではないか。
なぜそこへ、
「小学生からタバコ」
「ケンカ三昧」
「ズバ抜けたワル」
「暴走族」
「元ヤクザ」
という肩書きを積み重ね、成功物語をより劇的に見せる必要があるのだろう。
過去にマイナス100があったから、現在のプラス100と合わせて「200点の人生」になるわけではない。
犯罪をせず、暴力団にも入らず、地道に勉強して大学を卒業した人間より「元ヤクザだからすごい」という評価になるのなら、完全に順番がおかしい。
そして記事では「被害者への償い」がほとんど見えてこない
ここが今回、最も気になったところだ。
本人がこれだけ具体的に過去の加害行為を語っている。
では、カツアゲされた人はどうなったのか。
盗まれたテレビや腕時計の所有者はどうなったのか。
盗まれたバイクの持ち主は。
車上荒らしに遭った人は。
殴られた人は。
その人たちに謝罪したのか。
弁償したのか。
示談したのか。
現在、どのように考えているのか。
少なくとも今回確認した文春オンラインの連載からは、それぞれの被害者に対する具体的な謝罪・弁償・償いがどう行われたのかは確認できない。
ここは重要なので、「本人が何もしていない」と断定するつもりはない。
記事に書かれていない以上、実際には謝罪や弁償をしている可能性もある。
しかし、それならなおさらメディアは聞くべきではないだろうか。
自分が1000万円盗まれた話は具体的に紹介されている
興味深い対比もある。
連載第6回では、斎藤氏自身が後年、空き巣被害に遭った経験について語っている。
東京では現金や腕時計、通帳、キャッシュカードなどを盗まれ、通帳から1000万円を引き出されたと本人は説明している。
被害を受ければ、人間不信にもなる。
当然だろう。
だからこそ聞きたい。
では、自分が若い頃に金や物を奪った相手は、どんな気持ちだったのか。
本人を責め続けろという話ではない。
むしろ更生をテーマにするのであれば、ここまで踏み込んで初めて一つの物語になるのではないか。
本当に更生を伝えるなら、被害者を消してはいけない
犯罪を犯した人物にも、更生する権利がある。
刑を終え、暴力団を離れ、働き、学び直し、社会へ戻る。
それを妨げるべきではない。
しかし、加害者の更生を語ることと、過去を武勇伝化することはまったく違う。
本当に若者へ伝えるべきなのは、
- 犯罪をすると何を失うのか
- 被害者にどんな損害を与えるのか
- 刑務所や少年院へ行けば人生に何が残るのか
- 暴力団から抜けることがどれほど難しいのか
- 一度壊した信用を取り戻すのに何年かかるのか
- 被害者への償いをどう考えるべきなのか
こうした現実ではないだろうか。
「元ヤクザだからすごい」のではない
結論は単純だ。
元ヤクザだからすごいのではない。
慶應大学へ入るために勉強したことがすごいのである。
そして、もし司法試験に合格するのであれば、それは司法試験に合格した努力を評価すればいい。
犯罪歴を付加価値にする必要はない。
斎藤氏自身が更生し、現在社会貢献活動に取り組んでいることと、過去の加害行為をどう報道するべきかは分けて考える必要がある。
「ズバ抜けたワルだった人が慶應へ」というギャップだけを楽しむ記事なら簡単だ。
しかし犯罪には必ず相手がいる。
カツアゲされた人。
物を盗まれた人。
車を荒らされた人。
殴られた人。
その人たちを画面の外へ消してしまった瞬間、犯罪は「壮絶な人生」「武勇伝」「面白い過去」に変わってしまう。
更生を語るなら、加害者の人生だけでなく、被害者が存在したことまで語ってほしい。
それがなければ、「ワルから慶應」というギャップだけが独り歩きし、若い人間に「一度悪くなってから成功したほうが格好いい」という間違ったメッセージを残しかねない。
アウトローだった過去は勲章ではない。
更生とは、その過去をブランドにすることではなく、二度と繰り返さず、社会の中で何を積み上げるかで評価されるべきだ。



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