「最近は物騒な世の中になった」
テレビで事件が報じられるたび、そんな言葉を耳にします。
しかし、少し待ってください。
1974年の東京では、平日の昼間、大企業が立ち並ぶ丸の内で時限爆弾が爆発しました。
死亡したのは8人。負傷者は380人。
戦争中でも、外国の紛争地域でもありません。高度経済成長を経て、日本が豊かになり始めていた時代の東京で起きた事件です。
今回記録するのは、三菱重工ビル爆破事件。
昨今だけが物騒なのではありません。昔の日本でも、今の感覚では理解し難い犯罪が現実に起きていました。
三菱重工ビル爆破事件とは
三菱重工ビル爆破事件は、1974年8月30日、東京都千代田区丸の内にあった三菱重工本社ビル前で発生した爆弾事件です。
東アジア反日武装戦線「狼」が、三菱重工本社ビルの正面玄関前に2個の時限式爆弾を設置。爆破予告電話がかけられましたが、その直後に爆発しました。
爆発によって社員や付近を歩いていた通行人など8人が死亡し、380人が重軽傷を負いました。玄関と周辺は、原形をとどめないほど破壊されました。
事件概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生日 | 1974年8月30日 |
| 発生場所 | 東京都千代田区丸の内・三菱重工本社ビル前 |
| 死者 | 8人 |
| 負傷者 | 380人 |
| 実行組織 | 東アジア反日武装戦線「狼」 |
| 犯行方法 | 正面玄関前に置かれた2個の時限式爆弾 |
| 標的 | 三菱重工 |
| 主な被害者 | 社員、周辺にいた通行人など |
「企業を攻撃した事件」と説明されることがあります。
しかし、実際に爆風や破片を浴びたのは、経営判断を行う企業幹部だけではありません。その会社で働いていた人、付近を歩いていた人、たまたま丸の内にいただけの人でした。
犯人たちは何を主張していたのか
事件を起こした東アジア反日武装戦線「狼」は、日本企業の海外進出を「侵略」と捉え、企業への爆弾攻撃を計画していました。
独自の思想を展開し、爆弾の製造方法などを記した教本を地下出版して、同調者を集めていたと警察庁は記録しています。三菱重工ビル爆破事件の後も、複数のグループが企業を狙った爆破事件を繰り返し、一連の企業爆破事件は11件に上りました。1975年5月には、関係する被疑者8人が逮捕されています。
犯人たちの頭の中では、「企業」や「国家」や「帝国主義」と戦っていたのでしょう。
しかし、爆弾は抽象的な国家や企業だけを選んで傷つけてはくれません。
爆発する場所にいた、生身の人間を殺傷します。
裁判所も、政治的な動機や目的があったとしても刑事責任を免れるものではなく、無関係な一般市民を巻き添えにする爆弾攻撃には厳しい否定的評価が必要だと判断しています。
思想の内容を議論することと、その思想を理由に無関係な人間を殺傷することは、まったく別の問題です。
この事件だけが特別だったのではない
三菱重工ビル爆破事件だけを見れば、異常な集団が起こした一度限りの事件に思えるかもしれません。
ところが、当時の警察白書を見ると、1974年の日本では爆破事件そのものが相次いでいました。
1974年の爆破事件
| 項目 | 件数・人数 |
|---|---|
| 爆破事件 | 45件 |
| 爆破事件による死者 | 8人 |
| 爆破事件による負傷者 | 430人 |
| 警察が把握した爆破予告 | 1,666件 |
| 前年の爆破予告 | 190件 |
1974年の爆破事件は45件。前年のおよそ3倍に増えていました。
爆破予告は、前年の190件から1,666件へ、約9倍に激増しています。三菱重工本社だけでなく、駅、企業、官公署、百貨店など、人が集まる場所が爆破や爆破予告の対象になっていました。
当時の警察白書は、爆破事件について、無関係な第三者にまで危害が及ぶ極めて悪質な犯罪であり、不特定多数が利用する場所や、人の活動が活発な時間帯を狙う事件が増えていたと記録しています。
つまり、三菱重工ビル爆破事件は、平穏な時代に突然一つだけ現れた爆弾事件ではありません。
爆弾事件や過激派によるテロが現実の社会問題になっていた時代に、その中でも最大級の被害を出した事件でした。
なぜ一般市民が大量に巻き込まれたのか
爆発が起きたのは、東京駅にも近い丸の内のオフィス街です。
そこには三菱重工の社員だけでなく、別の会社で働く人、取引先へ向かう人、買い物や用事で通りかかった人もいます。
爆弾を企業の玄関前に置けば、その企業だけを攻撃できるはずがありません。
まして、爆発したのは人々が活動している昼間です。
犯人側がどのような理屈を並べても、不特定多数の一般市民が巻き込まれることは予測できたはずです。
政治的な主張を掲げながら、その主張とは無関係な人々を犠牲にする。
ここに、この事件の理解し難さがあります。
犯人を処罰しても、被害者の生活は戻らない
重大事件が起きると、報道は犯人の逮捕、裁判、刑罰へ集中します。
しかし、犯罪の被害は犯人が逮捕されたところで終わりません。
死亡した人の家族は、家族を失ったまま生活を続けなければならない。重いけがをした人は、治療費や後遺障害、休業、失職などの問題を抱えることになります。
三菱重工ビル爆破事件では、被害者の中でも大きな不均衡が生じました。
仕事中に被害を受けた社員などは、労働者災害補償保険による公的給付を受けられる場合がありました。
一方で、偶然その場を通りかかった人などは、同じ爆発で被害を受けたにもかかわらず、十分な公的補償を受けられない場合がありました。
被害者に何の落ち度もないことは同じです。
それでも、その人の勤務先や、爆発した瞬間にそこへいた理由によって、受けられる補償が違っていたのです。
犯罪被害給付制度が作られる契機になった
三菱重工ビル爆破事件を契機として、犯罪被害者に対する公的な補償制度の必要性が大きく議論されるようになりました。
そして1980年5月1日、犯罪被害者等給付金支給法が制定され、1981年1月1日から犯罪被害給付制度が施行されました。
この制度は、故意の犯罪によって死亡した被害者の遺族や、重い障害・傷病を負った被害者などに対し、国が給付金を支給する制度です。
もちろん、給付金を受け取ったからといって、失われた命や健康が元に戻るわけではありません。
それでも、
犯人を処罰するだけでなく、犯罪によって生活を破壊された被害者を社会として支える
という考え方が、制度として形になりました。
三菱重工ビル爆破事件が社会に残した最も大きなものは、ここでしょう。
この事件から得られるものはあるのか
犯罪事件を扱う記事で、無理に「人生の教訓」を作る必要はありません。
「不審物を見たら注意しましょう」
「危険を感じたら逃げましょう」
それだけで済ませられる事件ではありません。
個人が日常生活で実践できる簡単な対策によって、丸の内で起きた大規模爆破事件を防げたわけでもありません。
この事件から残るのは、生活術ではなく、社会を見るための事実です。
1.現在だけが特別に物騒なわけではない
昭和の東京では、白昼のオフィス街で爆弾が爆発し、388人が死傷しました。
さらに同じ年、日本では45件の爆破事件と1,666件の爆破予告が警察に把握されています。
現在起きている事件だけを見て「昔は平和だった」「今の人間はおかしくなった」と結論付けることはできません。
昔の日本にも、十分すぎるほど物騒な時代がありました。
2.大義を掲げれば、犯罪が正当化されるわけではない
犯人たちには思想がありました。
しかし、どれほど大きな言葉を掲げても、爆弾で命を奪われるのは一人ひとりの人間です。
国家や企業を敵として抽象化すると、そこで働く人や周囲で暮らす人の顔が見えなくなる。
この構造は、政治思想、宗教、民族、国家、陰謀論など、どのような大義を掲げる犯罪にも通じます。
3.刑罰だけでは犯罪被害者を救えない
犯人を逮捕し、裁判にかけ、処罰することは必要です。
しかし、それだけでは遺族の生活費も、被害者の治療費も、失われた収入も戻りません。
三菱重工ビル爆破事件は、犯罪被害者を社会としてどう支えるのかという問題を、日本に突き付けました。
これが、この事件から現在へ直接つながっている部分です。
「今は物騒だ」と言う前に
現在も、無差別殺傷、闇バイト強盗、特殊詐欺、SNSを使った犯罪など、理解し難い事件は起きています。
だから現在が安全で、何も警戒する必要がないという話ではありません。
しかし、現在の事件だけを毎日見て、過去の爆破事件、暴力団抗争、毒物事件、誘拐事件、宗教テロを知らなければ、比較はできません。
三菱重工ビル爆破事件では、東京の中心部で388人が死傷しました。
1974年の日本では、一年間に45件もの爆破事件が起きていました。
それでも時代が進み、事件は人々の記憶から少しずつ薄れていきます。
そして過去が忘れられたところで、また誰かが言います。
「最近は本当に物騒な世の中になった」と。
今だけが異常なのではありません。
人間は昔から、ときに理解できない理屈を掲げ、無関係な人を巻き込み、取り返しのつかない犯罪を起こしてきました。
この事件を記録する意味は、犯人の異常性を面白がることではありません。
昔の日本で何が起きていたのかを知り、現在だけを見て社会全体を判断しないためです。
まとめ
三菱重工ビル爆破事件は、1974年8月30日、東京・丸の内で発生しました。
東アジア反日武装戦線「狼」が仕掛けた時限爆弾によって、8人が死亡し、380人が負傷しました。
事件が起きた1974年には、日本全国で45件の爆破事件が発生。爆破予告も1,666件に達していました。
また、被害者によって受けられる補償に大きな差が生まれたことから、犯罪被害者への公的給付制度を求める議論が進み、犯罪被害給付制度が作られる契機となりました。
「最近は物騒になった」
そう感じること自体は自由です。
ただし、現在を語るなら、過去に何が起きていたのかも知らなければなりません。
昭和の東京では、昼間のオフィス街で爆弾が爆発していた。
これもまた、忘れてはいけない日本の歴史です。
主な参考資料
- 警察庁『昭和50年 警察白書』
- 警察庁『令和元年 警察白書』
- 警察庁『日本警察50年の軌跡と新たなる展開』
- 警察庁『犯罪被害給付制度発足から30年を迎えて』



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