「タトゥーは自己表現です」
それはいい。
自分の身体なのだから、成人が自分の意思と責任で入れること自体を、他人がすべて止められる話でもない。
では、逆に聞いてみたい。
日本で、わざわざ一生消えにくいものを身体に刻む理由は何なのだろうか。
特に腕一面、手、首、そして顔。
服でも隠せない場所まで入れることで、本人は何を得るのか。
その代わりに、何を失う可能性があるのか。
2026年8月、この疑問を考えるうえで象徴的な騒動が起きた。
- 「タトゥー客の99%はバカ」――言ったのはタトゥー嫌いではなく現役彫師だった
- 発言後、タトゥーを入れた3人組が自宅敷地へ
- 日本の刺青を「海外ではファッション」で片付けていいのか
- 感染症――これは「偏見」ではなく医学的リスクである
- 生命保険――「絶対に入れない」は違う。しかし無関係でもない
- なぜ自分から将来の選択肢を減らすのか
- 現役彫師の「99%」発言を軽く扱うべきなのか
- 「ファッションだから」で若者に積極的に勧める必要はない
- 50歳、70歳になっても、そのデザインと付き合えるのか
- 企業まで「両腕タトゥー丸出し」を受け入れるべきなのか
- 海外では本当に「タトゥーなら何でもOK」なのか
- 日本と海外を同じ物差しで語ること自体がおかしい
- 真面目に生きている人が一番評価される社会でいい
- 入れる自由がある。だから入れない自由もある
「タトゥー客の99%はバカ」――言ったのはタトゥー嫌いではなく現役彫師だった
話題になったのは、タトゥースタジオを約23年間営んできた現役彫師YouTuber・しげち氏だ。
しかも本人自身が全身に刺青を入れている。
つまり、外からタトゥー文化を批判している人ではない。
その本人が2026年8月4日の動画で、自身が長年接してきた客について「99%はバカ」などと極めて強い表現で批判した。
報道によれば、しげち氏はその理由として、無断キャンセル、まともに挨拶や会話ができない客、予算と希望するデザインがまったく釣り合わない依頼など、長年の接客経験を挙げている。
もちろん、「99%」は日本のタトゥー人口を統計調査して導き出した数字ではない。
一人の彫師が自分の店で長年客を見続けた末に出した、極めて厳しい経験則である。
ところが話はそこで終わらなかった。
発言後、タトゥーを入れた3人組が自宅敷地へ
8月23日、しげち氏は、自宅敷地内に見知らぬ3人組が入ってきたとYouTubeで報告した。
報道では、3人のうち1人はスマートフォンを向け、問題となった動画についてインタビューしたいと要求。別の人物は敷地内でたばこを吸っていたという。
しげち氏は110番通報。
本人の説明ではパトカー5台が出動する事態となった。
ここで注意したい。
この3人の行動をもって、タトゥーを入れている人全員を危険人物扱いすることはできない。
しかし、「タトゥーを入れている人に対する偏見」を問題にしている最中に、批判された側の一部が他人の自宅敷地まで押しかける。
これでは社会の警戒感を弱めるどころか、自分たちで強化してしまう。
そして何より興味深いのは、批判している本人まで刺青だらけの彫師だという点である。
日本の刺青を「海外ではファッション」で片付けていいのか
ここからが本題だ。
日本の刺青について語るとき、よく出てくる言葉がある。
「海外では普通」
「ファッション」
「自己表現」
しかし、日本には日本の歴史がある。
日本の刺青には江戸時代の刑罰としての入墨だけでなく、職人や火消しなどの装飾文化も存在した。
一方、近現代になると博徒、任侠、そして暴力団との結び付きが社会的に非常に強くなった。
警察庁の過去の調査では、対象となった暴力団員の7割強に入れ墨があったとされる。
動機として「格好がいい」「伊達だから」に加えて、「脅しになるから」という回答もあった。
つまり日本社会で、刺青が「アウトロー」「威圧」「暴力団」と結び付いてきた歴史そのものを無かったことにはできない。
現在は事情が変わっている。
刺青を入れていない暴力団員もいるし、逆に暴力団とは何の関係もない一般人がタトゥーを入れる時代になった。
だから「刺青=ヤクザ」ではない。
しかし、だからといって長年存在してきた社会的記号が突然ゼロになるわけでもない。
「TATTOO」と英語で呼べば、その歴史まで消えるわけではないのである。
感染症――これは「偏見」ではなく医学的リスクである
タトゥーについて、好き嫌いとは完全に切り離して考えなければならない問題がある。
感染症だ。
タトゥーは皮膚表面に絵を描いているのではない。
針で皮膚を繰り返し傷つけ、色素を皮膚内部へ入れていく。
米FDAは、タトゥーには感染症、アレルギー反応、肉芽腫、ケロイド、瘢痕、除去時の問題などがあると注意喚起している。
不衛生な器具や針を使えば、肝炎などの感染症が伝播する可能性がある。
CDCも、無認可施設や非衛生的な環境、滅菌されていない器具によるタトゥーではC型肝炎が感染する可能性があるとしている。
さらに、施術者が衛生管理をしていれば完全にゼロになる話でもない。
FDAは、未開封・密封状態のタトゥーインクから微生物が確認された例も報告している。
適切な衛生管理によってリスクは大きく下げられる。
それでも「身体に針を刺して色素を入れる以上、医学的リスクが完全なゼロになるわけではない」。
ここにファッション論は関係ない。
生命保険――「絶対に入れない」は違う。しかし無関係でもない
よく言われるのが、「刺青があると生命保険に入れない」という話だ。
これは一律には言えない。
刺青があるだけで、すべての生命保険へ加入できなくなるわけではない。
対応は保険会社や商品、健康状態などによって異なる。
一方で、刺青について反社会的勢力との関係確認や、感染症などの医学的リスクを考慮し、審査に影響する可能性があるとする保険実務上の解説もある。
場合によっては加入できない、あるいは条件が付く可能性もある。
つまり、こういうことだ。
刺青を入れたことで生命保険上のメリットが増えることはない。一方で、確認事項や不利益が増える可能性はある。
ここでも損得を考えてみたい。
自分の意思で身体へ不可逆的な加工を行う。
そこには感染症や皮膚トラブルという身体的リスクが存在する。
それによって保険料が安くなるわけでもない。
では何を得るのか。
「格好いい」「自分らしい」「好きだから」。
それをどう評価するかは本人次第だ。
なぜ自分から将来の選択肢を減らすのか
この記事は、タトゥーを入れている人間の知能を測定する記事ではない。
刺青があるだけで、その人の学歴、仕事能力、人格、犯罪歴まで分かるはずもない。
しかし、「その選択は合理的なのか」という問いは別だ。
例えば18歳の若者がいる。
これから大学へ行くかもしれない。
公務員になるかもしれない。
銀行、商社、航空、ホテル、教育、医療、営業、接客、大企業へ行くかもしれない。
あるいは将来、自分で会社を経営するかもしれない。
18歳の時点では分からない。
ところが、その段階で両腕から手の甲までびっしりタトゥーを入れる。
すると、本人が望むかどうかとは関係なく、外見規定や顧客対応を重視する一部の職場では選択肢が狭くなる可能性が出てくる。
ここで考えてほしい。
将来の選択肢を増やすために勉強する若者がいる一方、自分から将来の選択肢を削る可能性のある外見を、なぜ一生身体に残すのか。
もちろん、タトゥーが問題にならない仕事もある。
芸能、音楽、アート、自営業、IT、クリエイターなど、本人の能力次第で成立する世界もある。
問題は「仕事があるか」ではない。
選べる仕事を自分から減らす必要があるのか。
ここなのである。
現役彫師の「99%」発言を軽く扱うべきなのか
ここでもう一度、しげち氏の発言に戻りたい。
「99%はバカ」という数字を、そのまま日本全国の統計として使うことはできない。
しかし、だからといって「単なる偏見」で片付けるのも違う。
言っている本人が、タトゥー嫌いの外野ではないからだ。
自分自身にも大量の刺青を入れ、20年以上にわたり実際にタトゥーを希望する客を相手にしてきた人物である。
その現場経験の末に、客の無断キャンセルや会話、金銭感覚、態度などについて非常に厳しい評価を下した。
これは統計ではない。
しかし長期間その世界を見てきた当事者の証言として、考える材料にはなる。
日本でタトゥーを入れる層と、ヤンキー、不良、ストリート、アウトロー文化がどの程度重なっているのか。
正確な割合を示す大規模統計がない以上、断定はできない。
しかし、日本の刺青が長年そうした文化圏と強く結び付いてきた歴史があることも事実だ。
「今はファッションだから」で、その背景まで消してしまうのはあまりに簡単すぎる。
「ファッションだから」で若者に積極的に勧める必要はない
筆者はここをはっきりさせておきたい。
成人が自分の責任でタトゥーを入れる自由は否定しない。
しかし、若者に「海外では普通」「自己表現だから」「ファッションだから」とメリット側だけを見せ、積極的にタトゥーを勧めることには賛成できない。
なぜなら、若いうちは将来が決まっていないからだ。
20歳で好きだった服は40歳では着ないかもしれない。
20歳で好きだった音楽も変わるかもしれない。
恋人も仕事も住む場所も価値観も変わる。
ところがタトゥーは簡単には着替えられない。
そこが普通のファッションとの決定的な違いだ。
50歳、70歳になっても、そのデザインと付き合えるのか
タトゥーを入れる瞬間だけを見てはいけない。
人間は年を取る。
皮膚は変化する。
体型も変わる。
そして何より価値観が変わる。
20歳の自分が「最高に格好いい」と思ったデザインを、50歳の自分も同じように好きだとは限らない。
70歳になればなおさらだ。
では嫌になったら消せばいいのか。
これも簡単ではない。
レーザー除去には複数回の施術、費用、痛みが必要になり、完全に元の皮膚へ戻せない場合もある。
入れる決断は一日でも、その結果とは数十年間付き合う可能性がある。
企業まで「両腕タトゥー丸出し」を受け入れるべきなのか
「自己表現だから自由」という論理を突き詰めていけば、企業の身だしなみ規定はどうなるのだろう。
宅配ドライバーが両腕びっしりの刺青を完全に露出して一般家庭を訪問しても、企業は何も言ってはいけないのか。
ホテルスタッフでも、銀行員でも、営業担当でも同じなのか。
筆者はそうは考えない。
会社には会社のブランドがある。
顧客にも「どういう人を自宅へ入れたいか」「誰から接客を受けたいか」という感覚がある。
企業が合理的な範囲で服装や外見について一定の基準を設けることまで、すべて「偏見」の一言で封じる必要はない。
実際、タトゥーが非常に普及しているアメリカですら、見えるタトゥーを隠すよう求める企業は存在する。
「アメリカではタトゥーが普通」=「会社でも何をどこに彫って見せても自由」ではない。
海外では本当に「タトゥーなら何でもOK」なのか
海外事情を語るときに一番危険なのが、「外国」という一つの国が存在するかのように話すことである。
アメリカと中国ではまったく違う。
韓国とブラジルも違う。
同じ国でも、腕のワンポイントと顔面タトゥーでは意味が変わる。
アメリカ――普及していても職場ルールは残る
米国ではタトゥーは非常に一般化している。
しかし、それでも企業の外見規定は存在する。
見えるタトゥーを隠すよう求める企業もある。
特に顔、首、手など、服で隠せない場所は職業によって大きな問題になり得る。
「アメリカ人も入れている」は事実。
「だから社会的コストはゼロ」は事実ではない。
韓国――普及したからこそ制度化へ
韓国では長年、医療従事者以外によるタトゥー施術が法的に厳しく制限されてきた。
現在は免許制度の下で合法化する方向へ大きく動いている。
重要なのは、「流行したから何でも自由になった」という話ではないことだ。
普及したからこそ、施術者、衛生、資格などを制度として管理する方向へ進んでいる。
中国――欧米型の自由とは違う
中国では成人のタトゥー自体が全面禁止されているわけではない。
しかし未成年への施術、公的職種、芸能・スポーツ分野などで社会的・制度的な制約が存在する。
「海外では普通」の一言で中国まで一括りにすることはできない。
台湾――比較的寛容でも職業と部位の問題は残る
台湾でも若い世代を中心にタトゥー文化は存在する。
一方、公的職種などでは内容や部位が問題になる場合がある。
台湾でも「身体だから完全に何でも自由」という単純な話ではない。
ブラジル――受容度が高くてもTPOは消えない
ブラジルはタトゥー文化が非常に強い国の一つだ。
それでも、社会的立場、職種、デザイン、場所によって受け止め方は変わる。
受容度が高いことと、すべてのタトゥーがすべての場面で同じ評価を受けることは別問題である。
メキシコ――自己表現でも無制限ではない
メキシコではタトゥーを自己表現の一部として扱う司法判断も存在する。
一方、差別的・攻撃的な象徴など、内容によって他者の権利との衝突が起きる。
ここでも「タトゥーだから全部自由」という単純な話ではない。
日本と海外を同じ物差しで語ること自体がおかしい
アメリカにはアメリカの歴史がある。
ブラジルにはブラジルの文化がある。
日本には日本の歴史がある。
日本では長年、刺青と暴力団・任侠・アウトロー文化が非常に強く結び付いてきた。
そこへ海外由来の「TATTOO」「ファッション」「自己表現」という価値観が入ってきた。
もちろん時代は変わる。
一般人が入れることも増えた。
それ自体は現実として認めればいい。
しかし、海外のポジティブな部分だけ輸入して、日本側に存在する歴史や社会的コストを「古い偏見」として全部切り捨てるのも違う。
真面目に生きている人が一番評価される社会でいい
最後に、筆者の立場を明確にしておく。
刺青がある人を見ただけで犯罪者扱いする必要はない。
刺青のない暴力団員もいる。
刺青があっても毎日働き、税金を払い、家族を養い、他人に迷惑をかけずに生きている人もいる。
ならば最終的に評価すべきなのは行動だ。
働く。
約束を守る。
他人を威圧しない。
他人の家へ押しかけない。
ルールを守る。
自分が選んだことの結果を他人の責任にしない。
そういう人が一番評価される社会でいい。
そのうえで、刺青についても自由と責任をセットで考えるべきではないだろうか。
入れる自由がある。だから入れない自由もある
タトゥーを入れたい成人が、自分でリスクを調べ、自分のお金を払い、自分の責任で入れる。
それは本人の選択だ。
しかし社会が若者に対して、
「格好いい」
「海外では普通」
「自己表現だから」
という部分だけを見せる必要はない。
感染症の可能性がある。
生命保険の審査に影響する可能性もある。
職業の選択肢が狭まる可能性がある。
施設利用で制限されることもある。
年を取って価値観が変わっても残る。
消そうと思えば時間も金も痛みも伴う。
それでも入れたいのなら、入れればいい。
ただし、メリットだけでなくデメリットまで全部知ってから決めればいい。
自己表現の自由とは、他人がその自己表現を必ず格好いいと評価してくれる権利ではない。
そして、入れないという選択もまた立派な自己決定である。
筆者自身は、ここまでメリットとデメリットを並べても、やはり一つの疑問が残る。
日本で、わざわざ一生身体に残る刺青を入れることで、いったい何を得たいのだろうか。
答えは人それぞれだろう。
だからこそ、若いうちに一度だけでも、40歳、50歳、70歳になった自分まで想像してから決めてほしい。
身体は、流行が終わったから買い替えればいい服ではない。
※本記事は、タトゥー・刺青のある人を犯罪者、反社会的勢力、低学歴などと一律に認定するものではありません。しげち氏の「99%」という表現は同氏自身の長年の接客経験に基づく主張であり、日本のタトゥー人口を対象とした統計値ではありません。


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