「巨人は初物に弱い!」1987年、近藤真一にノーヒットノーランを食らった小学5年生の記憶

スポーツ

名古屋で育った巨人ファンだった

私は1977年生まれ。名古屋で育ったが、父親が巨人ファンだったこともあり、物心がついた頃から読売ジャイアンツを応援していた。

当時の名古屋は、当然ながら中日ドラゴンズのお膝元。

中日新聞の影響もあって、子どもの頃に手にした野球選手の下敷きも中日のものだった。

山内一弘監督、モッカ、宇野勝、谷沢健一。

そんな時代である。

私が最初に覚えている巨人の監督は王貞治さんだった。

なかなか日本一になれなかった王巨人。それでも当時の巨人には、原辰徳、中畑清、篠塚利夫、クロマティ、吉村禎章、駒田徳広といった魅力的な選手がそろっていた。

そんな小学生時代に、忘れられない出来事が起きた。

1987年8月9日、巨人が18歳の新人にやられた

1987年8月9日。

ナゴヤ球場で行われた中日対巨人戦。

中日の星野仙一監督が先発に送り出したのは、愛知県の享栄高校から入団したばかりの18歳、近藤真一だった。

プロ初登板、初先発。

ところが、この新人がとんでもない投球を見せる。

巨人打線を9回無安打無得点に抑え、13三振を奪ってしまったのである。

試合結果は中日6対0巨人。

投球数116球、与四球2。プロ初登板でのノーヒットノーランという、日本プロ野球史上初の快挙だった。

しかも中日打線では、前年オフにロッテから移籍してきた落合博満が2本塁打。

星野監督が獲得した2人の新戦力が、巨人を相手に大暴れした試合だった。

「初物に弱い巨人」と周囲に笑われた

当時、私は小学5年生。

今でも覚えているのは、周囲から言われた言葉だ。

「巨人は初物に弱い!」

巨人ファンだった私は、周囲からそんなふうに笑われた記憶がある。

名古屋で巨人を応援していれば、中日との対戦で負けたときにからかわれることもある。

しかし、よりによってプロ初登板の新人にノーヒットノーランを達成されるとは。

何とも言い返しにくい敗戦だった。

もちろん、近藤真一は単なる無名の新人ではない。

前年のドラフトで5球団が競合し、星野監督が交渉権を引き当てた期待の左腕だった。

そう考えれば、巨人打線が抑え込まれたのも、近藤の投球が素晴らしかったからにほかならない。

それでも巨人ファンとしては、やはり悔しい。

「初物に弱い巨人」という言葉は、当時の周囲の野球談議として、今でも強く記憶に残っている。

あの近藤真一は、その後どうなったのか

あの衝撃的なデビューを飾った近藤真一。

1987年は4勝、翌1988年には8勝を挙げた。

1988年の中日は星野監督のもとでリーグ優勝を果たしている。

しかし、近藤の野球人生は決して順風満帆ではなかった。

肩や肘の故障に苦しみ、1989年には左肩の手術を受けた。

結局、プロ通算12勝17敗。1994年に現役を引退している。

プロ初登板でノーヒットノーランを達成した投手が、通算では12勝しかできなかった。

野球というスポーツの難しさを感じさせる記録でもある。

ただ、たとえ通算勝利数が少なくても、1987年8月9日の投球が色あせることはない。

近藤真一は、あの一日でプロ野球史に名前を刻んだのだ。

あの頃の巨人は、負けても魅力があった

ちなみに1987年の巨人は、王貞治監督のもとでセ・リーグ優勝を果たしている。

しかし、日本シリーズでは西武ライオンズに2勝4敗で敗れ、日本一には届かなかった。

王監督は1988年を最後に退任。その後、藤田元司監督が巨人を率いることになる。

私の巨人ファンとしての記憶も、この頃から少しずつ鮮明になっていく。

藤田監督と近鉄との日本シリーズ。

西武に4連敗した1990年。

長嶋茂雄監督の復帰。

松井秀喜、落合博満、清原和博、高橋由伸、阿部慎之助……。

数え切れないほどのスター選手たちが巨人の歴史を彩った。

そして2026年。

長年巨人を応援してきたファンとして、今の巨人の打線や球団の方向性に疑問を感じることがある。

だからこそ、一度、自分が見てきた巨人の歴史を振り返ってみたい。

単に昔を懐かしむためではない。

昔の巨人は何が強かったのか。何が魅力だったのか。そして今の巨人には何が足りないのか。

そんなことを考えながら、これから巨人について綴っていきたいと思う。

最初に思い出したのが、巨人ファンにとっては屈辱的だった近藤真一のノーヒットノーランというのも、何とも皮肉な話である。(笑)

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