【馬鹿な国にならない為に】国家とは何か――国民は誰のために生き、国家は誰のために存在するのか

社会・政治

私たちは生まれたときから、当たり前のように「日本」という国の中で暮らしている。

働けば税金を納め、買い物をすれば消費税を負担する。道路を走れば交通法規に従い、違反すれば取り締まりを受ける。

だが、そもそも国とは何なのだろうか。国家とは誰が作り、誰のために存在しているのだろうか。

この問いを出発点に、連載「馬鹿な国にならない為に」を始めたい。

国と国家、政府は同じではない

「国」という言葉には、土地、そこに暮らす人々、歴史や文化まで含まれる。一方、国家とは、一定の領域と住民を統治する政治的・法的な仕組みである。政府は、その国家を運営する機関を指す。

1933年のモンテビデオ条約第1条は、国家の要素として、永続的な住民、明確な領域、政府、他国と関係を結ぶ能力を挙げた。これは国際法上の国家を考える代表的な基準の一つである。

つまり、国を大切に思うことと、時の政府を支持することは同じではない。政府を批判することは、直ちに国を否定することではない。

国家はなぜ必要なのか

国家がなければ、人々の安全や財産、社会の秩序を誰が守るのか。争いが起きたとき、誰が公平に判断するのか。

ホッブズは安全と秩序のための強い統治権力を論じ、ロックは生命・自由・財産を守る政府を考え、ルソーは正当な政治権力の根拠を人々の合意に求めた。

もっとも、社会契約論は国家成立を説明し正当化する政治思想であって、すべての国家が実際に住民の契約から生まれたという歴史的事実ではない。

国家は歴史上、戦争や征服、支配、合意、独立運動など、さまざまな過程を経て形成されてきた。国家が存在することと、その支配が正当であることも別の問題なのである。

国家はなぜ人を取り締まることができるのか

社会学者マックス・ウェーバーは、近代国家の特徴を、一定の領域で正当な物理的強制力の独占を要求することに見いだした。

警察は法律に基づいて逮捕や捜索を行い、国家は裁判制度や刑罰制度を維持する。私人には原則として認められない強い権限が、公的機関には与えられている。

しかし、法律に基づいて権限を持つことは、その行使が常に正しいことを意味しない。違法な逮捕や不当な捜査は、国家機関が行ったからといって正当化されない。

国民を守るための権限が、国民の権利を侵害する道具になったとき、誰がそれを止めるのか。

日本国憲法は国家をどう位置づけているのか

日本国憲法前文には、国政は国民の厳粛な信託によるものであり、権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、福利は国民が享受するという原則が記されている。

ここには、国民が国家権力の正当性の源であるという国民主権の考え方が示されている。

また、第13条は個人の尊重と幸福追求、第15条は公務員の選定・罷免と全体の奉仕者という原則、第25条は生存権、第30条は納税義務、第99条は公務員などの憲法尊重擁護義務を定めている。

ただし、これらの条文が個々の場面でどのような請求権を生むかは、法律や判例によって具体的に判断される。憲法の理念と、裁判で実現できる救済を混同してはならない。

国民は公務員を直接採用していない

私たちは国会議員や地方自治体の首長などを選挙で選ぶ。しかし、日々接する警察官や行政職員の大半を直接選ぶわけではない。

その採用や配置、昇進は、法律と行政組織の制度に従って決まる。市民が一人ひとりを面接することも、直接解雇することもできない。

だからといって、彼らが国民から独立した無制限の権限を持つわけではない。行政には法律による統制があり、議会による監視、裁判所による審査、情報公開などの制度が存在する。

問われるべきなのは、そうした制度が現実にどこまで機能しているのか、という点だ。

税金は何のために払うのか

国家は、治安、司法、教育、社会保障、道路や公共施設など、多くの公共的な仕組みを維持するために財源を必要とする。税金はその主要な財源である。

ただし、税金は民間サービスの利用料金とは異なり、納めた金額に比例したサービスを受け取る契約ではない。所得や財産、消費などに応じて負担を分かち合う仕組みでもある。

それでも、納税者が税金の使途や政策の成果を問うことは当然のことである。

物価が上がり、生活が苦しくなったとき、国家にはどのような責任があるのか。行政機関が違法行為をしたとき、国民にはどのような救済があるのか。

税を徴収する権限があることと、その使い方について説明責任を果たしていることは、同じではない。

国家が国民の権利を侵害したら

国家権力も法の制約を受ける。日本国憲法第17条は、公務員の不法行為によって損害を受けた場合の賠償請求を定めており、国家賠償法がその具体的な制度を設けている。

また、行政訴訟、情報公開請求、請願、選挙、監察や苦情申出など、制度ごとに異なる手段が用意されている。

ただし、制度が存在することと、誰もが容易に利用でき、十分な救済を得られることは別である。費用、時間、証拠へのアクセス、判断過程の透明性なども検証する必要がある。

国家は誰のために存在するのか

国民は法律を守ることを求められる。納税義務を負い、違反すれば処分や刑罰を受けることもある。

では、法律を執行する国家自身が法を破ったとき、その責任はどこまで追及されるのだろうか。

国家には強大な権限がある。その権限が必要な場面は確かにある。しかし、強い権限を持つ組織ほど、監督と説明責任が欠かせない。

国家が存在する理由と、国家が正しく機能しているかどうかは、別々に問わなければならない。

この連載では、税金、警察、行政、社会保障、生命の尊厳といった問題を、感情的な賛否だけでなく、法律、判例、統計、実際の事件から検証していく。

国を批判するためだけではない。国民が自分たちの権利を知り、必要なときに使えるようにするためである。

国家は誰のものなのか。その問いを忘れないことから始めたい。

参考資料

コメント

タイトルとURLをコピーしました