「ごちそうさま」を言わない子どもに苦言――それでも子ども食堂は、子どもを受け入れる場所であってほしい

子ども食堂を営むラーメン店主のSNS投稿が大炎上。「ごちそうさま」をめぐる議論を背景に、子ども食堂の役割と子どもへの大人の向き合い方を問いかけるイメージ画像。 事件・社会問題

ラーメン店主の投稿が大きな議論に

宮城県仙台市のラーメン店「麺屋わになる」の店主が、子ども食堂を利用する一部の子どもの挨拶についてXに投稿し、大きな反響を呼んだ。

2026年10月17日、集英社オンラインは店主への直接取材を公開した。

報道によれば、同店は2023年の開業以来、中学生以下の子どもに無料で食事を提供している。利用者は月に約100人。ほとんどの子どもは食後に「ごちそうさま」と言うものの、一部には何も言わず帰る子どもがいるという。

店主は、子どもたちに感謝の心を身につけてほしいという思いから投稿したと説明している。

その考え自体は理解できる。

しかし、私は今回の騒動に一つの大きな疑問を感じた。

なぜ、その場で子どもに教えるだけではいけなかったのだろうか。

子どもは最初から礼儀を知っているわけではない

「ごちそうさま」を言う。

日本では当たり前のように教えられる食事の挨拶だ。

しかし、すべての子どもが同じ家庭環境で育っているわけではない。

家庭の経済状況、保護者の仕事、生活環境、文化的な背景など、子どもたちの事情はそれぞれ異なる。

家庭で礼儀を十分に教わる機会がなかった子どももいるだろう。

人見知りで声が小さい子どももいる。恥ずかしくて大人に話しかけられない子どももいる。

もちろん、本当に何も言わずに帰った子どももいるだろう。

しかし、それだけで感謝の気持ちがないと判断できるのだろうか。

今日「ごちそうさま」を言えなかった子どもが、明日も言えないとは限らない。

来月には言えるようになるかもしれない。

それが子どもの成長ではないだろうか。

店主は実際に教えている。それでもSNSで発信する必要があったのか

ここは事実を正確に伝えておきたい。

店主は集英社オンラインの取材に対し、営業に余裕があるときには、挨拶をせず帰る子どもに教えていると説明している。

忙しいときには対応できないこともあるという。

つまり、店主が子どもへの指導をまったく行っていなかったわけではない。

また、無料で食事を提供する活動を継続するには、食材費も人件費も必要だ。

善意で活動している店主に、子どもの教育のすべてを背負わせることも適切ではない。

それでも、疑問は残る。

なぜ店の公式SNSで、全国に向けて苦言を発信したのか。

子どもに伝えたいのであれば、店内で声をかける。保護者に伝えたいのであれば、利用案内に記載する。

そうした方法もあったはずだ。

SNSで問題提起する自由はある。

しかし、店の公式アカウントから発信すれば、子ども食堂そのものが世間の議論にさらされる。

その影響は、投稿した大人だけでなく、利用している子どもにも及ぶ可能性がある。

そもそも子ども食堂とは何なのか

全国こども食堂支援センター「むすびえ」は、こども食堂を、子どもが一人でも利用できる無料または低額の食堂と定義している。

さらに重要なのは、食事の提供だけでなく、子どもや地域住民の居場所としての役割だ。

子ども食堂は、必ずしも低所得世帯だけを対象とした施設ではない。

経済的に困難な家庭の子どもも、そうでない家庭の子どもも利用する。

地域の人々が交流する場所でもある。

そして、子どもが安心して過ごせる場所でもある。

ここで考えたい。

礼儀正しい子どもだけが安心して過ごせる場所になってしまったら、それは本来目指していた子ども食堂なのだろうか。

挨拶が苦手な子どももいる。

落ち着きのない子どももいる。

家庭で十分に大人と話す時間を持てない子どももいる。

そんな子どもが、地域の大人と接するなかで少しずつ社会の習慣を覚えていく。

私は、そこにも子ども食堂の大切な価値があると思う。

「自分のことを言われているのかな」と思う子どもはいないだろうか

今回の投稿で、私が最も心配するのはこの点だ。

もし、店を利用している子どもがSNSの騒動を知ったらどう思うだろう。

「自分のことかな」

「ちゃんと挨拶できていなかったのかな」

「もう行かない方がいいのかな」

そんなふうに感じる子どもがいても不思議ではない。

もちろん、実際にそうした子どもがいたという事実が確認されたわけではない。

しかし、大人はそこまで考えて発信する必要があるのではないか。

子ども食堂は、運営者に気に入られるために通う場所ではない。

子どもが安心して食事をし、地域の大人と接することのできる場所であってほしい。

善意には感謝する。しかし、感謝を示すのが苦手な子どももいる

無料で食事を提供する活動は、決して簡単ではない。

店主が負担を引き受け、長年活動を続けていることには敬意を払いたい。

一方で、善意を受け取る側に、常に大人が期待する反応を求めることには慎重でありたい。

感謝することは大切だ。

それを言葉にすることも大切だ。

しかし、感謝の表現がまだ上手にできない子どももいる。

その子どもに「ごちそうさま」を教えることと、挨拶しないことへの不満をSNSで発信することは、同じではない。

また、今回の店主が挨拶しない子どもへの食事提供を拒否した事実は確認されていない。好き嫌いで子どもを選別していると決めつけることもできない。

だからこそ、批判すべきなのは確認されていない人格や動機ではなく、公式SNSでの発信方法とその影響だ。

子ども食堂を続けるなら、子どもの成長を待てる場所であってほしい

店主は取材で、店が続く限り子ども食堂を続けたいと話している。

私は、今回の騒動だけを理由に活動をやめるべきだとは思わない。

むしろ、続けるのであれば、挨拶できない子どもも安心して来られる場所であってほしい。

「ごちそうさまを言いなさい」

そう教えることは悪くない。

しかし、今日言えなかった子どもが、半年後には自分から言えるようになるかもしれない。

そんな変化を見守ることも、地域の大人だからこそできることではないだろうか。

子ども食堂の価値は、無料で何食提供したかという数字だけでは測れない。

そこに来た子どもが、また来たいと思えるか。

安心して食事ができるか。

地域の大人と接することで、少しずつ成長できるか。

私は、そうしたことにも目を向けたい。

今回の問題は、「ごちそうさま」を言うべきかどうかだけではない。

まだ礼儀を身につけていない子どもに、大人はどう向き合うべきなのか。

そして、子ども食堂とは、誰のために存在する場所なのか。

その原点を考える機会にしたい。


参考資料

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