みたけ台を見直したあと、次に向かうべき場所は上谷本町だった。
派手な駅前ではない。
有名店を並べて紹介する回でもない。
けれど、みたけ台ベースから街を見ていくなら、上谷本町を飛ばすわけにはいかない。
なぜなら、みたけ台は昭和50年の土地区画整理事業に伴い、上谷本町などの一部から新設された町だからだ。
つまり、みたけ台を「今のホーム」として見るなら、上谷本町はその前史にあたる場所でもある。
配達員として走っていると、街はどうしても「通る場所」と「止まる場所」に分かれやすい。
ピックがある場所。
届け先がある場所。
休憩する場所。
そして、ただ抜けるだけの場所。
でも、上谷本町をただの通過点で終わらせるのは違う。
ここには、みたけ台へつながる地名の記憶があり、坂を下りる身体感覚があり、支援学校のある街としての見守り目線がある。
今回は、みたけ台ベースから上谷本町を走る配達員の視点で、この街を記録していく。
上谷本町は、みたけ台の前史につながる町である
上谷本町は、横浜市青葉区の町名だ。
横浜市の町名由来によると、上谷本町は昭和14年、横浜市へ編入された際に、都筑郡中里村大字上谷本から新設された町とされている。
古くは都筑郡上谷本村だった。
明治22年の市町村制施行の際には、寺家村、鴨志田村、成合村、下谷本村、鉄村、黒須田村、大場村、市ケ尾村、北八朔村、西八朔村、小山村、青砥村、下麻生村飛地と合併し、中里村大字上谷本となった。
そして、平成6年の行政区再編成に伴い、緑区から青葉区へ編入された。
この履歴を見るだけでも、上谷本町が単独で完結する町ではなく、周囲の町と深くつながりながら現在の形になってきたことが分かる。
みたけ台も、その流れの中にある。
みたけ台の町名由来を見ると、昭和50年の土地区画整理事業に伴い、上谷本町などの一部から新設された町とされている。
つまり、みたけ台を丁寧に見たあとに、上谷本町を見るのは自然な流れだ。
今の住宅街の前にあった地名の層を、もう一度見に行く。
それが、上谷本町編の出発点である。
みたけ台から坂を下りると、街の重心が変わる
みたけ台から上谷本町へ向かうとき、身体の感覚が少し変わる。
みたけ台は「台」という名前の通り、上にある街として感じる。
上るときは帰っていく感じがある。
下りるときは、別の層へ降りていく感じがある。
これは、地図だけでは分かりにくい。
原付で走ると、坂の変化はかなり正直に伝わってくる。
エンジンの音。
ブレーキの感覚。
カーブでの視界。
住宅街から少し開ける瞬間。
みたけ台で見ていた街の重心が、上谷本町へ下りると少し変わる。
ここから先は、ただ住宅街の中を回るというより、みたけ台の外側へ出ていく感覚がある。
配達員にとって、その感覚は大事だ。
同じ青葉区内でも、坂を下りるだけで街の見え方が変わる。
みたけ台ベースから上谷本町へ向かうことは、ホームの縁を越えることでもある。
上谷本町を「抜け道」としてだけ見ない
配達中、道はどうしても効率で見てしまう。
この道を通れば早い。
この坂を避けたい。
この角は曲がりにくい。
このルートなら次に戻りやすい。
そういう判断は、仕事として必要だ。
でも、上谷本町を「抜ける場所」としてだけ見てしまうと、街の厚みを落としてしまう。
ここは、みたけ台の前史につながる町だ。
古くは上谷本村だった場所だ。
周囲の村や町と合わさり、時代の中で形を変え、いまの青葉区の一部になっている。
その町を、ただの通過ルートとして扱うのはもったいない。
配達員は、地図アプリの線だけを走っているわけではない。
町名の上を走っている。
旧村名の上を走っている。
誰かが長く暮らしてきた場所の上を走っている。
上谷本町を通るときは、そのことを少し意識したい。
あおば支援学校がある街として見る
上谷本町を語るうえで、神奈川県立あおば支援学校の存在は外せない。
公式サイトでは、所在地は神奈川県横浜市青葉区上谷本町109番地とされている。
神奈川県の説明では、あおば支援学校は肢体不自由教育部門の小・中学部と、知的障害教育部門の小・中・高等部を併設する特別支援学校とされている。
この情報を、ただ施設名として並べるだけでは足りない。
支援学校がある街を走るということは、配達員にとっても意味がある。
そこには、子どもたちがいる。
先生がいる。
保護者がいる。
送迎や通学に関わる人たちがいる。
それぞれの事情を持ちながら、同じ街を使っている人たちがいる。
だから、上谷本町では「急いでいるから」で雑に走ってはいけない。
速度を落とす。
曲がり角を見る。
歩行者を見る。
車の動きを見る。
自分の都合だけで道を使わない。
それは特別なことではない。
支援学校がある街に入る配達員として、ごく普通に持つべき敬意だと思う。
見守りは、監視ではなく、走り方の態度である
みたけ台の学校とこどもの杜の記事でも書いたが、見守りは監視ではない。
人をじろじろ見ることではない。
誰かを疑うことでもない。
地域の生活を覗くことでもない。
配達員にできる見守りは、もっと小さい。
曲がり角で速度を落とす。
歩道をふさがない。
施設周辺で荒い運転をしない。
道に迷っても焦って変な止まり方をしない。
急がなければいけないときほど、周りを見る。
上谷本町のように、支援学校がある街では、この意識がより大事になる。
配達員は、街に入らせてもらっている。
その感覚を忘れないこと。
それが、見守り目線の基本だ。
上谷本町は、店で押す回ではない
ローカル記事を書くとき、どうしても有名店を探したくなる。
どこが人気か。
何を食べられるか。
どの店が有名か。
それはそれで大事だ。
みたけ台編では、PUISSANCE、ウッドストック、Guri’s Kitchenのように、街の顔になる店があった。
しかし、上谷本町は、同じやり方で無理に店を探して書く回ではないと思う。
少なくとも、今の時点で分かる範囲では、上谷本町は「有名店紹介」で押すより、町名の由来、みたけ台との関係、支援学校のある街としての配慮、坂を下りて生活圏が変わる感覚を中心にした方がいい。
街には、店で語るべき回と、地形や施設や町名で語るべき回がある。
上谷本町は後者だ。
目立つ看板より、町の背景を見る。
派手な飲食店より、道の重さを見る。
通過点に見える場所を、町名と生活の層として見直す。
それが、今回の記事の役割だ。
生活インフラは、目立つものだけではない
上谷本町を走るとき、派手な商業施設が目に入るわけではない。
だからといって、生活インフラがないわけではない。
生活インフラとは、大きなショッピングモールだけではない。
学校がある。
道がある。
バスや車の流れがある。
周辺の町へつながる導線がある。
必要な人が必要な場所へ向かうための道がある。
そういうものも、街を支えている。
配達員は、店だけを見ていては足りない。
どこへ人が向かうのか。
どの道を使うのか。
どの場所で速度を落とすべきか。
どの町とつながっているのか。
その視点が必要になる。
上谷本町は、まさにそういう街だ。
横浜上麻生線という大きな流れも意識する
上谷本町周辺を考えるとき、横浜上麻生線の存在も無視できない。
横浜市の道路局は、横浜上麻生線を「市の中心部から港北ニュータウンを経由して北西部へ連絡する道路」と説明している。
青葉区の生活圏を走る配達員にとって、大きな道路はただの移動ルートではない。
街を分ける線にもなる。
街をつなぐ線にもなる。
車の流れを作る。
住宅街への入り方を決める。
配達員がどこで緊張するかにも関わる。
大きな道から生活道路へ入るとき、街の音が変わる。
車の流れから、人の生活へ近づいていく。
この切り替えは、配達員にとってかなり大事だ。
上谷本町を走るときは、大きな道と生活道路の境目を意識したい。
みたけ台へ戻る坂は、「帰還」の感覚がある
上谷本町へ下りるときと、みたけ台へ戻るときでは、気持ちが違う。
下りるときは、ホームの外へ出る感覚がある。
戻るときは、ベースへ帰っていく感覚がある。
これは、みたけ台を掘ったあとだからこそ分かる感覚だ。
ローソンがある。
みたけ台公園がある。
PUISSANCEがある。
ウッドストックがある。
Guri’s Kitchenがある。
学校とこどもの杜がある。
杉山神社と祥泉院がある。
そういう場所を見たあとだと、みたけ台はただの地名ではなくなる。
戻る場所になる。
その戻る場所と、前史につながる上谷本町。
この関係が面白い。
みたけ台ベースは、みたけ台だけで閉じる連載ではない。
そこから周辺の町へ出て、また戻ってくることで、生活圏の輪郭が見えてくる。
上谷本町を走るとき、評価者にならない
上谷本町を、みたけ台と比べて評価するつもりはない。
新しいとか古いとか、便利とか不便とか、きれいとか地味とか、そういう言葉で雑に分けたくない。
みたけ台にはみたけ台の役割がある。
上谷本町には上谷本町の役割がある。
みたけ台が現在地なら、上谷本町は前史につながる場所だ。
支援学校があり、道があり、生活の流れがある。
そこを通る配達員は、上から目線で街を採点してはいけない。
この街に暮らす人がいる。
この街に通う人がいる。
この街を必要としている人がいる。
その前提を忘れずに走る。
街をちゃんと見るとは、評価者にならないことでもある。
まとめ:上谷本町は、みたけ台の外側ではなく、つながる根っこだった
上谷本町は、派手な街ではない。
有名店を並べる回でもない。
けれど、みたけ台ベースにとっては大事な町だ。
みたけ台は、上谷本町などの一部から新設された町である。
上谷本町は、古くは上谷本村だった。
そこには、みたけ台の前史につながる町名の記憶がある。
そして、あおば支援学校がある。
支援学校のある街を走る配達員として、見守りと敬意が必要になる。
みたけ台から坂を下り、上谷本町へ入る。
そして、またみたけ台へ戻る。
その往復の中で、ホームと周辺の関係が少し見えてくる。
上谷本町を通過点で終わらせない。
ここは、みたけ台の外側ではない。
みたけ台につながる根っこであり、次の街へ進むための大事な一歩だった。
編集後記:派手じゃない街ほど、雑に扱うと失礼になる
上谷本町は、記事にしやすい派手さがある街ではないかもしれない。
大きな駅前があるわけではない。
有名店を並べて紹介する回でもない。
だからこそ、雑に扱うと失礼になる。
「通っただけ」で終わらせると、その街に暮らす人や通う人の存在が抜け落ちる。
みたけ台をちゃんと見たからこそ、上谷本町もちゃんと見ないといけない。
町名の歴史。
みたけ台とのつながり。
坂を下りる身体感覚。
あおば支援学校がある街としての敬意。
それらを拾うことで、上谷本町はただの通過点ではなくなる。
みたけ台ベースは、これからもこういう街を拾っていきたい。
目立つ場所だけではなく、生活圏を支える場所を見る。
配達員は、ただ運ぶだけではない。
街をちゃんと見る仕事でもある。
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